【訃報】小澤征爾氏(桂冠名誉指揮者)ご逝去について

新日本フィルハーモニー交響楽団の創立者のひとりで、桂冠名誉指揮者だった小澤征爾氏が、2024年2月6日逝去されました。享年88歳でした。

中国東北部の瀋陽市(かつての奉天市)に生まれた小澤氏は、桐朋学園の創設者である齋藤秀雄のもとで指揮を学び、1959年にブサンソン国際指揮者コンクールで優勝。ヘルベルト・フォン・カラヤンやレナード・バーンスタインに才能を認められ、世界の檜舞台での活躍を開始しました。1964年にトロント交響楽団、1970年にはタングルウッド音楽祭の音楽監督、同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督にも就任しました。1972年6月末に日本フィルハーモニー交響楽団(財団)が解散、同年7月1日に小澤氏と山本直純氏の呼びかけで自主運営組織の新日本フィルハーモニー交響楽団を創立、小澤氏は指揮者団首席として楽団を牽引していきました。

1973年にはボストン交響楽団の音楽監督となり、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルにも定期的に招かれ多忙を極めるなかでも新日本フィルの育成と発展に力を注ぎ、1974年10月にカーネギーホール、国連総会議での演奏会を含むアメリカ、ヨーロッパ演奏旅行を11月16日まで、5か国22回のコンサートを行いました。(秋山和慶指揮を含む)

新日本フィルには1991年から名誉芸術監督、1999年からは桂冠名誉指揮者として、通算624回指揮台に立ちました。これは歴代の新日本フィル指揮者陣にあっては最多の記録です。

この間、定期演奏会だけでなく、数々の地方公演や、テレビ番組『オーケストラがやって来た』の公開収録、1973年の香港音楽祭を皮切りに、1974年、アメリカ、ヨーロッパ演奏旅行、1985年2月ロンドン、ミュンヘン、ローマ、パリ、デュッセルドルフ(井上道義指揮)での演奏旅行、1998年ロシア公演、2002年中国でのオペラ公演を行いました。また、ルドルフ・ゼルキン、マルタ・アルゲリッチ、マウリツィオ・ポリーニ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ジェシー・ノーマン、ヨー・ヨー・マ、クリスティアン・ツィメルマンなど、新日本フィルが世界的なソリストと共演する機会に恵まれたのは、小澤氏の存在あってのことでした。

2002年からウィーン国立歌劇場音楽監督に就任した小澤氏は、1970年代後半から新日本フィルとのオペラ上演にも力を尽くし、ヘネシーオペラシリーズ、1985年5月「ヴォツェック」上演、とりわけ1986年3月に作曲者オリヴィエ・メシアン臨席のもとで行われた『アッシジの聖フランチェスコ』日本初演(オラトリオ形式の抜粋版による)は、世界的にも大きな反響を呼びました。

 1997年に新日本フィルの本拠地であるすみだトリフォニーホールが開館した際、こけら落としでマーラー交響曲3番を指揮したのも小澤氏でした。その後も新日本フィルの精神的支柱であり続けてくださった小澤氏と、2022年の創立50周年を共に祝うことができたのは、なによりの喜びでした。

“小澤さん”── 生前を知る楽団員はそう呼ばせていただいていました。厳しくも愛にあふれる指導、演奏旅行の際には必ず宴会を開いてくださったことなど、楽団員にとって忘れられない思い出ばかりです。世界的指揮者でありながら、とても気さくにお話してくださったことが思い出されます。
ここに生前の“小澤さん”の新日本フィルおよび世界のクラシック音楽界への多大なる貢献に対し、心からの感謝と共に、深い哀悼の意を表します。

関連のお知らせ


故・小澤征爾氏を偲ぶコーナーをすみだトリフォニーホールに設置いたします