子どもの頃はラジオ大好き少年でした。今と違って当時は一家にテレビ一台が一般的で、子どもが見たい番組をいつでも見られる、というわけではなかったので、よく部屋でラジオを聞いていたんです。
深夜放送も大好きで、しょっちゅう寝不足になっていましたね(笑)。これは当時から家にあったラジオです。

 

オーケストラとの出会いもラジオでした。
当時「新日鐵アワー・音楽の森」というクラシック番組があり、そこでモーツァルトのクラリネット協奏曲を聴いて感動したことで、オーケストラに入りたいと思うようになったのです。

 

当時僕は中学3年で、吹奏楽部でサックスを吹いていました。調ベてみるとサックスはオーケストラにポジションがないことがわかり、日増しに強まるオーケストラの夢をかなえるため、先生に相談して、ファゴットに転向することに決めました。

 

いまやテレビやインターネットの普及で、ラジオはやや忘れられた存在でしょうか。
テレビは確かにおもしろいですが、見ていると、果てしなくテレビに時間を食ベられているような感覚に陥ります。
しかも「これだ」という映像が字幕付でバンと出てくるので、聴覚や想像力を働かせるということがどんどん退化していくのではないかという危機感を覚えます。

想像力――これこそ、管楽器の勉強に一番大切なことです。
僕ら管楽器は「音が出る」瞬間を視覚的に見せることができません。
教えるときも、自分がどうやって息を使っているか、生徒に見せることができないので、生徒自らが想像力を働かせて自分の問題を考える力がないと、思いを伝えられる演奏ができるようになるまで上達するのはむずかしいのです。
そしてオーケストラこそ、みんなが想像力をめぐらせながら、ひとつのものを作っていく世界であるともいえます。
想像力を働かせることは、相手を思いやることにも通じるので、「自分さえよければ」という風潮のある今の社会には、とても大切なことだと思います。

 

ひとり静かに、ラジオから聞こえてくる声に耳を澄まし、その向こうの情景を想像するような時間を持つこと。
それは、この忙しい日常のなかで、忘れてはならないことを思い出させてくれる大切な時間のように思います。

想像力――これこそ、管楽器の勉強に一番大切なことです。
僕ら管楽器は「音が出る」瞬間を視覚的に見せることができません。
教えるときも、自分がどうやって息を使っているか、生徒に見せることができないので、生徒自らが想像力を働かせて自分の問題を考える力がないと、思いを伝えられる演奏ができるようになるまで上達するのはむずかしいのです。
そしてオーケストラこそ、みんなが想像力をめぐらせながら、ひとつのものを作っていく世界であるともいえます。
想像力を働かせることは、相手を思いやることにも通じるので、「自分さえよければ」という風潮のある今の社会には、とても大切なことだと思います。

 

ひとり静かに、ラジオから聞こえてくる声に耳を澄まし、その向こうの情景を想像するような時間を持つこと。
それは、この忙しい日常のなかで、忘れてはならないことを思い出させてくれる大切な時間のように思います。