1997年から2年半、ティボール・ヴァルガ先生のレッスンを受けるために、スイスのシオンという町で暮らしました。
スイスが永世中立国であることもあって、ロシア、アルメニアなどからの留学生が多く、日本人で毎日いるのは僕だけ。
仲良くなってほとんどの時間を一緒に過ごすうち、彼らの生活スタイルが僕とは全然違うことがわかりました。

 

スイスの物価は、日本人には「ちょっと高い」程度でしたが、彼らの中には負担となりとてもつましい暮らしをしている人もいました。
ある日お昼を一緒に作って食ベようということになったとき、パスタの具はミニトマトたった1個が二人分!スイスで1週間2000円で暮らす生活でした。家族に仕送りしている人もいました。
でもそれを見て、かわいそうとか、悲惨とか、そんなふうに思ったわけではないんです。彼らは気持ちまでひもじいのではない。それどころか、誇り高く強い意志をもち、親や兄弟への厚い思いに満ちた人たちでした。

その友達のひとりがロシアに帰って、お土産に買ってきてくれたのが、このキーホルダー。僕を喜ばせようとして持って帰ってきてくれた、その気持ちがすごく嬉しかったのを覚えています。

 

彼らの話を聞くと、音楽をする上での環境も僕とは違っていました。
アルメニア人の友達の場合は、そのことによって兵役を逃れられるという。
彼らの国は、91年にソビエト連邦から独立したばかり。不安定ということもあり、帰る所がない頃の気持ちをいまだ持ち続けていました。帰りたいけれど帰れない――それはハチャトゥリアンの音楽に感じる、家路につけない切なさに通じるような気がします。
ロシア人の友達からは、ショスタコーヴィチの音楽にある“鉄の意志”のような強さを感じました。
彼らと知り合ったことで、ハチャトゥリアンやショスタコがより身近になり、大好きになりました。

 

何の変哲もないキーホルダーですが、いつもヴァイオリンのケースに入れて持ち歩き、眺めていると、彼らと出会って気づかされたこと――なにもないところからチャレンジしようとするハングリー精神、音楽に対する真摯さ、家族を大切にする優しさ――が思い出されるのです。

その友達のひとりがロシアに帰って、お土産に買ってきてくれたのが、このキーホルダー。僕を喜ばせようとして持って帰ってきてくれた、その気持ちがすごく嬉しかったのを覚えています。

 

彼らの話を聞くと、音楽をする上での環境も僕とは違っていました。
アルメニア人の友達の場合は、そのことによって兵役を逃れられるという。
彼らの国は、91年にソビエト連邦から独立したばかり。不安定ということもあり、帰る所がない頃の気持ちをいまだ持ち続けていました。帰りたいけれど帰れない――それはハチャトゥリアンの音楽に感じる、家路につけない切なさに通じるような気がします。
ロシア人の友達からは、ショスタコーヴィチの音楽にある“鉄の意志”のような強さを感じました。
彼らと知り合ったことで、ハチャトゥリアンやショスタコがより身近になり、大好きになりました。

 

何の変哲もないキーホルダーですが、いつもヴァイオリンのケースに入れて持ち歩き、眺めていると、彼らと出会って気づかされたこと――なにもないところからチャレンジしようとするハングリー精神、音楽に対する真摯さ、家族を大切にする優しさ――が思い出されるのです。