参事まで務めた農協を定年退職して民間の取締役をしていた親父が、ある日突然会社をやめて、陶芸の修業を始めました。いつもの時間に起きてこないので母親が起こしにいったところ、「きのう会社をやめてきた。きょうから陶芸を始める」と言ったそうです。
すでに近くにある窯に弟子入りを決めてきていました。それまで芸術にはまったく興味を示さず、レコードをかければ「消せ」と言い、一緒に展覧会に行くと早足ですーっと出て行ってしまうような人でしたから、一体なにが起きたのだろうと、家族一同驚いたものです。
それから1年たって「西部工芸展」という大きな展覧会で受賞し、独立してアトリエをもつまでになりました。写真の陶器は「生活に困ったらこれを売りなさい」と送ってきてくれた一式です。そう言われては売るに売れず、そのまま押し入れにしまってありました。
実家のある佐賀は焼き物の盛んな土地で、伊万里焼、唐津焼、有田焼がありますが、そのなかで親父の陶器は「多久古唐津焼」と呼ばれる流派です。
並み居る陶芸家のなかで、なぜか親父の壺が県庁や市役所に飾ってあるんですよ。
農協時代のコネがきくのかな(笑)。県の物産館や、デパートで佐賀の物産展があるときには出品したりしています。「山口阿世」という名前で出ていますので、気づかれたら眺めてみてください。
僕も親父から教わっていくつか作ってみましたが、やってみるとむずかしいものです。
均等に力をかけるだけでなく、中心が1ミリずれただけでアウトですから。
親父は最初食器に凝り、一式作ったあと次は骨壺、いまは陶ランプに入れ込んでいます。
ふくろうや犬の陶ランプを作っていますが、リアルすぎてかわいくなく、「怖くて電気がつけられない」と、親戚からも不評です(笑)。母は「もっと売れるものを作って」と言っていますが、商売度外視で楽しくやっているようです。
会社時代の親父とはほとんど話をしませんでしたが、最近はよく会話をするようになりました。「こういう人だったのか」と発見があって、けっこう楽しいです。
コンサートにも自分から行くようになって、「この前聴いた演奏家がよかった」などと言っています。人間変われば変わるもの。親父を見ていると、人生はおもしろい、とつくづく思います。
僕も親父から教わっていくつか作ってみましたが、やってみるとむずかしいものです。
均等に力をかけるだけでなく、中心が1ミリずれただけでアウトですから。
親父は最初食器に凝り、一式作ったあと次は骨壺、いまは陶ランプに入れ込んでいます。
ふくろうや犬の陶ランプを作っていますが、リアルすぎてかわいくなく、「怖くて電気がつけられない」と、親戚からも不評です(笑)。母は「もっと売れるものを作って」と言っていますが、商売度外視で楽しくやっているようです。
会社時代の親父とはほとんど話をしませんでしたが、最近はよく会話をするようになりました。「こういう人だったのか」と発見があって、けっこう楽しいです。
コンサートにも自分から行くようになって、「この前聴いた演奏家がよかった」などと言っています。人間変われば変わるもの。親父を見ていると、人生はおもしろい、とつくづく思います。