数年前、母が認知症であることがわかり、家族一同、突然のことにとまどい、落ち込み、絶望の淵に立たされました。そのとき、支えとなり、よりどころになったのが、日本の歌でした。

 

母は歌が大好きな人で、若いときはいろいろな合唱団を渡り歩いて歌っていました。
病気になってからも、歌うときに幸せそうな母をみて、よく一緒に歌うようになったのですが、驚くほどに歌を知っているんです。歌詞も2番、3番まで覚えている。それに初めて聴いた歌でも、彼女の琴線に触れると口ずさむことができるのです。病気のことを調ベるほど、不思議なことです。

 

母がケアセンターに御世話になることになったとき、自分になにかできることはないだろうかと考えて、以前からケアセンターで演奏していたアマチュア・ギタリストの義理の姉とともに、センターにおしかけ演奏をしに行くようになりました。
1回20~30分、テーマを決めて台本を作り、お話をしながらの演奏です。

いざ曲を選ぶとなってみつけたのが、この「歌謡曲のすベて」(全音楽譜出版社)です。
コードネームが付いて、ピアノがない場所でもギター伴奏で歌えるようになっていて、学校唱歌、軍歌から最近のヒット曲まで、1000曲以上入っています。選んでいくうちに、自分が思いのほかたくさんの歌を知っていることに驚きました。きっと母が好きで歌ってくれていたからだと思います。私の大切な宝物です。

 

おしかけ演奏によって、センターの方の負担が増えることにもなり、申し訳なく思うこともあったのですが、「20、30分座って聴くこともリハビリになるのです」と言われて、救われる思いがしました。
私自身、最初は「弾いてあげる」という気持ちがどこかにあったと思いますが、演奏の後で無表情だった方が生き返ったような表情になったり、泣いてくださったりするのをみて、与えられているものの大きさに気づくようになりました。

 

そして、生きているのはすばらしい、と感謝の気持ちにいっぱいになるのは、母が病気になった後もおだやかで、「ありがとう」が言えることです。
若いときは気性の激しい人でしたが、そういう部分が吸い取られて、とてもピュアな部分が残っている。神様が大切なものだけ残してくれたような気がします。

いざ曲を選ぶとなってみつけたのが、この「歌謡曲のすベて」(全音楽譜出版社)です。
コードネームが付いて、ピアノがない場所でもギター伴奏で歌えるようになっていて、学校唱歌、軍歌から最近のヒット曲まで、1000曲以上入っています。選んでいくうちに、自分が思いのほかたくさんの歌を知っていることに驚きました。きっと母が好きで歌ってくれていたからだと思います。私の大切な宝物です。

 

おしかけ演奏によって、センターの方の負担が増えることにもなり、申し訳なく思うこともあったのですが、「20、30分座って聴くこともリハビリになるのです」と言われて、救われる思いがしました。
私自身、最初は「弾いてあげる」という気持ちがどこかにあったと思いますが、演奏の後で無表情だった方が生き返ったような表情になったり、泣いてくださったりするのをみて、与えられているものの大きさに気づくようになりました。

 

そして、生きているのはすばらしい、と感謝の気持ちにいっぱいになるのは、母が病気になった後もおだやかで、「ありがとう」が言えることです。
若いときは気性の激しい人でしたが、そういう部分が吸い取られて、とてもピュアな部分が残っている。神様が大切なものだけ残してくれたような気がします。