転機は2011年の東日本大震災でした。その2年前に京大オーケストラの演奏旅行で訪れた釡石、南相馬が津波にのまれていく映像を目の当たりにして、そこで触れ合った人たちの顔が浮かびました。人ってこんなに簡単に死んでしまうんだ─そう思ったとき、自分が一番好きなことをやらなければいけない!と強く感じたのです。

 3歳からスズキ・メソードでチェロを始め、ソロを弾かせてもらったりしていたのですが、受験校に進学したこともあって、音楽は楽しみとして続けていくのがいいかなと思っていました。京大を選んだのは、中高のオーケストラ部の顧問の先生から、うまいオーケストラのある大学がいい、というアドヴァイスを受けたことがきっかけです。京大オケには運営にも関わり、大学在籍よりオケ在籍が1年長いほどでした。さて就職をどうしようか……と考えていた矢先に3.11が起こり、ここで価値観がガラッと変わりました。オケでお付き合いのあった円光寺雅彦さんに音楽家になりたいと相談したのが3月末。円光寺さんから紹介いただき、元NJP首席の花崎薫さんにレッスンを受け始め、翌年、東京藝大の大学院に進むことができました。大学院時代からエキストラで呼んでいただいていたNJPに入団できたのも、これまで巡り合ってきた方々のおかげと感謝しています。

 最近よく考えるのは、コミュニケーションの大切さです。僕らが演奏している多声音楽は2つ以上の声部でできていますが、その声部間がぴったりくっついていればいいというわけでもない。信頼関係に基づいた、いい距離感、いい協調関係がポイントではないかと思います。オーケストラは、そのなかでの些細な違和感、寄り添う感じが大きな結果となって出てくる世界ですから、日頃から、お互いに心地よい距離感がどこにあるのか、探りながら音楽を作っていくことが必要なのではないかと思っています。

 そしてそれは音楽に限ったことではなく、人と人との関係すべてに通じることではないかと思うんですね。逆に言えば、音楽にだけ必要なものというのは、そんなにあるわけではなく、僕らが経験していることには普遍性があるのではないかと。そういうことを日々考えている僕らだからこそ、体験をもとにコミュニケーションの大切さを具体的に表現できるのではないかなと思います。幸せなことに、アウトリーチを任せていただく機会も出てきたので、どのように伝えられるか、方法論を考えているところです。そのような活動も、音楽家がこれからの社会に貢献できる一つかなと思っています。

(2025年5・6月定期演奏会プログラム掲載)