NJP50周年誌こぼれ話 その3 天下の回りもの …「 財」は「材」より成る〈前編〉

新日本フィル50周年誌が刊行されました。 ページ数の都合などにより割愛せざるを得なかったエピソードを、編集の齋藤克氏にご紹介いただきます。

※画像は1979年12月に開催された「第九」演奏会。小泉和裕さんがNJP音楽監督として有終の美を飾った公演である。 フランスのル・モンド紙に「両腕に恐るべき力を秘めている」とその卓越した“棒さばき”を称賛された小泉さんは、25歳でNJP初代音楽監督に就任。楽員と一体になり草創期の厳しい時代のNJPを支えた。

 「金は天下の回りもの」というが、都合よく回ってくることなどないに等しい。1972年7月1日の創立以来、自主運営のNJPにとってお金という苦労の種は疫病神のようにつきまとう。  

 例えば小泉和裕さんが音楽監督だった1976年当時、NJPが地方公演を行うとなると、90人前後の人間が移動することになり、旅費・宿泊費など主催者の負担も大きく、収支トン トンにするには平均4,000円の料金で1,000人の入場者が必要となるが、当時、4,000円のチケット代は東京の2倍である。そこへ同年、赤字に悩む国鉄が運賃50%値上げに踏み切るのである(※)。スポンサーのないNJPにとっては大打撃で、赤字覚悟で開催するか、さもなければ中止にするしかなかったが、こうした状況は地方公演に限ったことではなかった。  

 ところが、当時のプログラムのどこを読んでも陰鬱な記述がない。しみったれた態度が微塵もなく、あるのは厳しい現状に対する覚悟と演奏への意気込みだけである。  

 NJPの創立当初、事務局を一人で担当し、2004年10月に退団するまで、総務主幹や事務局長などを歴任し、長くNJPを支えた一人である支倉二二男さんは、「当時の楽員の情熱たるや、それはすさまじかった。今日どんなに良い演奏をしても、‘明日はもっと良くなければ’ といつも口癖のように言っていた。とにかく熱気がみなぎっていた」と振り返っている。  

 1976年当時、NJPの年間公演回数は150回前後あったが、そのすべてで利益が出るわけではなく、本来なら採算のとれる演奏会が毎月10回はコンスタントにあるのが理想だが、公演は9月から暮れにかけて集中するから、演奏活動の少ない1月から8月は当然財政事情は厳しくなる。遂には楽員の給与を削るというしわ寄せになって現れる。それでも資金繰りが悪くなったらどうするか。支倉さんがテレビマンユニオンに出演料の前借りを頼みに行くのである。同社は「50周年誌」の15・16ページにある「オーケストラがやって来た」の制作会社である。支倉さんは「萩元晴彦さんや大原れい子さんをはじめ、テレビマンユニオンには本当にお世話になった。僕は今でもテレビマンユニオンに足を向けて寝られない」 と笑っていたが、これは紛れもない支倉さんの本心だと思う。…〈後編〉へ続く。

※会場練習(ゲネプロ)の集合時間に間に合えば楽員の移動手段は自由だったが、交通費は鉄道運賃換算で支払われた。

新日本フィル50周年誌「演奏は一期一会」

¥3,000(税込)

1972年からこれまでの新日本フィルの歴史を編纂しました。 小澤征爾、山本直純をはじめ、新日本フィルを創ってきた音楽家達の貴重な記録は必見。全208ページ、A4サイズ

※配送は日本国内のみ。

【付録】オリジナルCD
齋藤秀雄 指揮 モーツァルト:交響曲第39番第1楽章
山本直純 指揮 ブラームス:交響曲第1番第1楽章
小澤征爾 指揮 バッハ:管弦楽組曲第3番アリア
小泉和裕 指揮 R.シュトラウス:「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
井上道義 指揮 シューベルト:交響曲第8番第4楽章
C.アルミンク 指揮 フランク交響曲第2番第2楽章
上岡敏之 指揮 シューベルト:第5番第3,4楽章

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