7月号につづき、4月に亡くなったムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏の追悼対談をお届けします。
スラヴァとともにロシア公演を含めて数多くの公演を行った新日本フィルメンバーならではのエピソードをお楽しみください。
(前号からつづく)
出席:崔 文洙(チェ・ムンス)、花崎 薫
チェリスト・ロストロポーヴィチ
花崎 チェリストには、チェロの演奏だけでなく、もっとグローバルに、世の中に影響を与える人がいるんです。
カザルス、ロストロがそう。
カザルスも生涯フランコの独裁政治に抵抗して、自由への思いを訴え続けたし、ロストロさんもソルジェニーツィンをかくまって反体制とみなされ、国籍を剥奪された。自由を獲得するために、国を相手に戦ったわけでしょう。
崔 あの人の、自由や人権の尊さへの思いというのは、誰よりも強い。
国籍を剥奪される前も、ソ連の共産体制のなかで新聞に投稿する、という普通では決してできないことをやったし、その後のクーデターで銃撃戦があったときも、市民と一緒に篭城していた。
僕は、真の意味で、社会における音楽家の立場、地位を確立したのは、カザルスとロストロじゃないかと思っているんです。
音楽家が音を奏でるだけではなく、音楽でメッセージを伝えることができることを示した、という意味で、彼らが社会に与えた影響は計り知れない。
そうやって命懸けで生きていたからこそ、ああいうチェロを奏でることができたのではないかと思います。
70年代のプロコフィエフのシンフォニー・コンチェルタンテとか、ハチャトゥリアンのラプソディとか、すさまじい演奏ですよ。禁じられた言葉を、チェロで語っているというような。
花崎 ルトスワフスキの協奏曲の録音もすばらしい。
この曲は90年に小澤さんの指揮で共演したことがありますが、「冒頭でチェロが奏でる単純な音形が、工場で単純労働をしていう人たちを表している」と説明してくれました。
「ドン・キホーテ」も彼がすごく愛した曲ですよね。
僕はドン・キホーテとロストロさんが重なるんですよ。無鉄砲にみえながら、ゆるぎない信念がある。
国を相手に戦ったロストロさんとだぶって感じられるんです。
崔 こどものときから、あの物語が好きだった、と言ってましたよね。
崔 そういう超人的、無敵なスラヴァにも、かなわない弱みがあったよね(笑)。
奥さんのガリーナさん。ものすごい恐妻家だった。
花崎 「イワン雷帝」の練習のとき、合唱がグアーっと気が狂ったように歌わなければならないところがあったんだけれど、ちょっときれいで大人しすぎた。
そうしたら客席で聴いていたガリーナさんが、つかつかと前に出てきて、「こうやるのよ」と一声「ガーッ」と叫んだら、それでみんなわかってしまったんです。スラヴァが小さい声で「ワカリマシタか。
これが私の奥さんです」と言ったので、みんな大ウケ。
崔 パーティでスラヴァがウォッカでいい気分になっているところに、ガリーナさんがやってきて、耳をひっぱって連れていってしまったこともあった。
あれはすごかったなあ。あのスラヴァがなにも抵抗できないんだもの。
花崎 お茶目でかわいらしいところが、スラヴァにはありましたね。
オケにきたら、まずダミ声で「オオー、マイ・フレンズ!」。あの一声でみんな吸い寄せられちゃう。
ものすごく厳しい面と、羽目をはずす面が両方あった。
崔 中途半端がないんでしょう。なにごとも、とことんやる。
人間のスケールが違って、会う人みんなをとりこにする包容力がある。
政界、財界にあれだけ彼の支持者がいたのは、音楽家を超えた人間としての魅力だと思います。
花崎 新日本フィルも彼がくると、わーっととりこまれちゃう。
あれだけ厳しいのに、みんな彼のことが好きだったと思うんです。
彼のチェロの音は大きくて豊か。それにピアニシモがすごい。抜けるようにすーっと向こうに徹るような音。
あれこそ彼のすごさだと思います。
強く激しいところと、繊細で緊張感のあるところ、あのレンジの広さこそ、ロストロさんそのものですよね。生き方も音楽も破格な人でした。
崔 彼が残してくれたものは、僕らの心にしかない、無形の宝物。新日本フィルの財産として、しっかり受け継いでいきたいです。
崔 前回、ロストロさんから「質を落とすな」と言われた話をしましたが、とにかくロストロさんにとっては、「質」がすベて。
芸術をやる上で、質を向上させる、こと以外はありえない、という信念がありましたね。
僕は新日本フィルに入る前、モスクワでロストロのマスタークラスを覗いたことがあるんだけれど、ものすごく厳しくてこわかった。
生徒も万全の準備をしてきて、その上でさらに高いことを要求されるというレッスンでした。
花崎 自分にも厳しい人で、すごい勉強をしていましたよね。
20年くらい前、ボストンで小澤さんの指揮で、現存するチェロ協奏曲を全部演奏するという壮大なプロジェクトがあったと聞きました。
ロストロはすベて頭に入っているらしい。とてつもないことですよ。
崔 若いときの演奏を聴くと、100回弾いたら100回そこにいかないと気がすまない、というくらいの練習をしている感じですね。
できたと思っても、そこにさらなる楔をトンカチで打ち込んで、それを練りこんでやっとできあがる、というのがロシア人の特質だと聞いたことがあります。
ロシア人は、なにしろねばり強いですから(笑)。
日本人の気質は当然違いますが、日本にも職人の厳しい文化がある。
スポーツや伝統芸能、ほかの分野でも、厳しく技を磨き上げる文化があります。
すベてに共通するのが「質の向上」なわけで、特に芸術は、それを失ったら存在意味がないですから。
これといっていいところも悪いところもない、みたいなのは、芸術という分野ではあってはならないこと。
なにかメッセージを発していなければ、芸術ではないわけです。
クライスラーがいまを予言するようなことを言っているんです。
「これからの時代、芸術と文明が同時に進歩するのはむずかしいのかもしれない」と。
クライスラーが生きた19世紀末から20世紀前半は、戦争を契機に文明が発達して世の中が変化した時代だった。芸術もそれにあわせて豊かになっていった。しかし未来はどうだろうかと。
花崎 いまはインターネットのおかげで、苦労してほしいものを手に入れるというプロセスを感じないで生活していますからね。
すベて簡単になりすぎた…。
崔 心理学の専門家から、情報がなさすぎるのも、またありすぎるのもストレスだ、と聞いたことがあります。
ほしい情報を探していってそれがみつけられればバランスがとれるのでしょうけれど、あふれているので、どれを選んでいいのかわからなくなっている。
そういう状態は芸術にとっては悲劇かもしれない。
花崎 一音聴いただけで誰の演奏かわかる、というほどの個性がなくなっているのは、こういう時代と関係していると思いますね。
だからほんとうに心していないと、流されていって、自分がみえなくなる危険がある。
ロストロさんの訃報に接して、あらためて彼に言われた「質」のことを考えました。
崔 前回、ロストロさんから「質を落とすな」と言われた話をしましたが、とにかくロストロさんにとっては、「質」がすベて。
芸術をやる上で、質を向上させる、こと以外はありえない、という信念がありましたね。
僕は新日本フィルに入る前、モスクワでロストロのマスタークラスを覗いたことがあるんだけれど、ものすごく厳しくてこわかった。
生徒も万全の準備をしてきて、その上でさらに高いことを要求されるというレッスンでした。
花崎 自分にも厳しい人で、すごい勉強をしていましたよね。
20年くらい前、ボストンで小澤さんの指揮で、現存するチェロ協奏曲を全部演奏するという壮大なプロジェクトがあったと聞きました。
ロストロはすベて頭に入っているらしい。とてつもないことですよ。
崔 若いときの演奏を聴くと、100回弾いたら100回そこにいかないと気がすまない、というくらいの練習をしている感じですね。
できたと思っても、そこにさらなる楔をトンカチで打ち込んで、それを練りこんでやっとできあがる、というのがロシア人の特質だと聞いたことがあります。
ロシア人は、なにしろねばり強いですから(笑)。
日本人の気質は当然違いますが、日本にも職人の厳しい文化がある。
スポーツや伝統芸能、ほかの分野でも、厳しく技を磨き上げる文化があります。
すベてに共通するのが「質の向上」なわけで、特に芸術は、それを失ったら存在意味がないですから。
これといっていいところも悪いところもない、みたいなのは、芸術という分野ではあってはならないこと。
なにかメッセージを発していなければ、芸術ではないわけです。
クライスラーがいまを予言するようなことを言っているんです。
「これからの時代、芸術と文明が同時に進歩するのはむずかしいのかもしれない」と。
クライスラーが生きた19世紀末から20世紀前半は、戦争を契機に文明が発達して世の中が変化した時代だった。芸術もそれにあわせて豊かになっていった。しかし未来はどうだろうかと。
花崎 いまはインターネットのおかげで、苦労してほしいものを手に入れるというプロセスを感じないで生活していますからね。
すベて簡単になりすぎた…。
崔 心理学の専門家から、情報がなさすぎるのも、またありすぎるのもストレスだ、と聞いたことがあります。
ほしい情報を探していってそれがみつけられればバランスがとれるのでしょうけれど、あふれているので、どれを選んでいいのかわからなくなっている。
そういう状態は芸術にとっては悲劇かもしれない。
花崎 一音聴いただけで誰の演奏かわかる、というほどの個性がなくなっているのは、こういう時代と関係していると思いますね。
だからほんとうに心していないと、流されていって、自分がみえなくなる危険がある。
ロストロさんの訃報に接して、あらためて彼に言われた「質」のことを考えました。