僕の留学の目的ははっきりしていました。
ロシアの伝統的なメソッドを習得すること――どうすれば理想の音が出せるのか、体系的なシステムのなかで理論的な裏付けまで学ぶこと――です。
先生に「現状を少し改善する程度でよいか?すベてぶち壊して一からやり直すか?」と問われて、迷うことなく「すベてやり直す」と答えました。
それまで日本で勉強していたことを捨てるのは怖かったですが、そうしなければ来た意味がないという覚悟でした。
「徹底的に突きつめてマスターしたい」という僕の意志は先生方にも伝わり、情熱を傾けて指導くださいました。
一切の妥協も許されないレッスンのおかげで、徐々に「自分の問題がどこにあるのか」「どうしたら改善できるか」がわかるようになり、イメージする音をどうしたら出すことができるか、うまくいかないときはどうしたらよいか、自分の体を使ってコントロールできるようになりました。
音を出すシステムを理詰めで学んだことは、今でも僕の礎【いしずえ】になっています。

97年に帰国し、NJPのコンサートマスターになってから、「もっといい音楽家に」「もっといいオーケストラに」とずっとあがき続けています。音楽家であるからには、常に高みをめざしたい。
オーケストラでも、妥協することなく、みなで高みをめざす環境作りを大切にしたい。
理想の音をめざして突き進んだあの日々を忘れることなく、聴き手の心に訴えかける、雄弁な音楽が語れるオーケストラをめざしたいと思います。

97年に帰国し、NJPのコンサートマスターになってから、「もっといい音楽家に」「もっといいオーケストラに」とずっとあがき続けています。音楽家であるからには、常に高みをめざしたい。
オーケストラでも、妥協することなく、みなで高みをめざす環境作りを大切にしたい。
理想の音をめざして突き進んだあの日々を忘れることなく、聴き手の心に訴えかける、雄弁な音楽が語れるオーケストラをめざしたいと思います。

子どもの頃、オイストラフの弾くシベリウスの協奏曲を聴いてから、この巨匠が僕のスーパーアイドルになりました。音色、音楽の緊張感、エネルギー……すベてに衝撃を受け、どうやったらこんなすごい音楽ができるのか、夢中で聴きあさったものです。
ロシアに留学したいと思ったのも、オイストラフにつくことができたら、という気持ちからでした。
残念ながらオイストラフはすでに亡くなっていましたが、彼の一番弟子であるワレリー・クリモフ先生とセルゲイ・ギルシェンコ先生に習うことができました。

子どもの頃、オイストラフの弾くシベリウスの協奏曲を聴いてから、この巨匠が僕のスーパーアイドルになりました。音色、音楽の緊張感、エネルギー……すベてに衝撃を受け、どうやったらこんなすごい音楽ができるのか、夢中で聴きあさったものです。
ロシアに留学したいと思ったのも、オイストラフにつくことができたら、という気持ちからでした。
残念ながらオイストラフはすでに亡くなっていましたが、彼の一番弟子であるワレリー・クリモフ先生とセルゲイ・ギルシェンコ先生に習うことができました。