10年ほど前、新日本フィルを1年間休んで、ドイツのアウグスブルクに留学しました。楽器と楽譜と最低限の身の回りのものだけ持ってでかけ、日用品はすベて現地で調達しました。
その日用品のなかでひとつだけ、留学生活の記念にとドイツから持って帰ったのが、このカップです。留学中の1年間、毎日、朝・昼はコーヒー、夜は好きな日本茶をこれで飲むのが唯一の息抜き、というような生活でした。
せっかくビールの本場にいながらもったいないことですが、不思議とお酒を飲む気がしなかったのです。

 

ドイツに留学したのは、入団して7年目でした。
日々の仕事に追われて、自分の意に沿わない演奏をしてしまったことがあり、一度しっかり勉強し直さないと大変なことになる……という危機感から留学を決意しました。
出発は、奇しくも9.11の翌朝でした。

アウグスブルクでは、午前中はドイツ語の勉強、午後は練習とレッスンの毎日で、ひたすら勉強しました。先生に演奏を聴いていただいて、自分の演奏がうまくいっていない原因は「弦と弓のコンタクト」と「音楽の間」にあることがわかったので、その点を集中的に勉強しました。
レッスンのおかげで、楽に楽器を鳴らすことができるようになり、以前より、伝えたいことを自由に表現できるようになったと思います。
発音については、子どもの頃習ったことのあるセブシックの教則本を使って、基本をみっちりやり直しました。
ドイツ語を学んだことも、音楽を理解するうえで役に立っていると感じます。

 

このカップを見ると、ストイックなまでに音楽に集中していたドイツでの日々を思い出して、身の引き締まる思いがします。

 

あれから10年。3.11の2日前、初めての子どもが生まれました。
その笑顔が傍らにあることがどれだけ奇跡的なことか、この日常がどれだけ幸せな宝物か、震災を経て、より強く思うようになりました。
家族と一緒にいられること、チェロが弾けることに感謝しながら、1日1日を大切に噛み締めながら生きなければと、あらためて感じています。

アウグスブルクでは、午前中はドイツ語の勉強、午後は練習とレッスンの毎日で、ひたすら勉強しました。先生に演奏を聴いていただいて、自分の演奏がうまくいっていない原因は「弦と弓のコンタクト」と「音楽の間」にあることがわかったので、その点を集中的に勉強しました。
レッスンのおかげで、楽に楽器を鳴らすことができるようになり、以前より、伝えたいことを自由に表現できるようになったと思います。
発音については、子どもの頃習ったことのあるセブシックの教則本を使って、基本をみっちりやり直しました。
ドイツ語を学んだことも、音楽を理解するうえで役に立っていると感じます。

 

このカップを見ると、ストイックなまでに音楽に集中していたドイツでの日々を思い出して、身の引き締まる思いがします。

 

あれから10年。3.11の2日前、初めての子どもが生まれました。
その笑顔が傍らにあることがどれだけ奇跡的なことか、この日常がどれだけ幸せな宝物か、震災を経て、より強く思うようになりました。
家族と一緒にいられること、チェロが弾けることに感謝しながら、1日1日を大切に噛み締めながら生きなければと、あらためて感じています。