大好きなイツァーク・パールマンにサインをしていただいた楽器ケースです。
17年くらい前、新日本フィルがベートーヴェンの協奏曲を共演した際、メンバー数人と楽屋を訪ねてお願いしたところ、快く書いてくださいました。私にとってパールマンは「神様」のような存在で、子どもの頃は、レッスンで弾く曲は必ず彼のレコードを聴いて勉強していたほどです。
せっかくお会いできたのに、緊張してほとんど喋れなかったのですが…。今はもう使っていないケースですが、当時持ち歩いていると「パールマンのサインではありませんか」と言われたことがあるほど、ファンの方にはお馴染みの筆跡のようです。

 

ヴァイオリンは4歳で始め、小学校低学年のときにはヴァイオリニストを目指そう、と決めていました。
中学生で新日本フィルの定期会員になり、東京文化会館のコンサートに通うのを楽しみにしていました。
新日本フィルには大学3年の終わりにオーディションを受けて入団し、この4月で22年になります。
オーケストラで弾くのが大好きで、しかも一番いいなと思っていた新日本フィルに入ることができて、本当にラッキーだったと思います。

新日本フィルでは、たくさんのすばらしい指揮者、ソリストに出会うことができましたが、なかでもロストロさんは特別な存在です。
ロシア公演の最後にサンクトペテルブルクの空港で一緒に撮ってもらった写真は、思い出の一枚になりました。厳しい練習での鋭い目と、終わってからの気さくでお茶目な笑顔、すベてが懐かしいです。

 

入団するときは、果たして60歳までずっと飽きずに続けられるのだろうかと思っていましたが、飽きるなどとんでもないほど、今でも刺激があって緊張の途切れることのない毎日です。
弾いたことのない曲もまだまだありますし、勉強には終わりがありません。
そして共に困難を乗り越えながら一緒に音楽をつくっている同僚の皆さんの存在は大きいですね。
よく食ベよく笑いよく喋る人が多いので、音楽のことから子育ての話まで、井戸端会議も楽しいひと時です。

新日本フィルでは、たくさんのすばらしい指揮者、ソリストに出会うことができましたが、なかでもロストロさんは特別な存在です。
ロシア公演の最後にサンクトペテルブルクの空港で一緒に撮ってもらった写真は、思い出の一枚になりました。厳しい練習での鋭い目と、終わってからの気さくでお茶目な笑顔、すベてが懐かしいです。

 

入団するときは、果たして60歳までずっと飽きずに続けられるのだろうかと思っていましたが、飽きるなどとんでもないほど、今でも刺激があって緊張の途切れることのない毎日です。
弾いたことのない曲もまだまだありますし、勉強には終わりがありません。
そして共に困難を乗り越えながら一緒に音楽をつくっている同僚の皆さんの存在は大きいですね。
よく食ベよく笑いよく喋る人が多いので、音楽のことから子育ての話まで、井戸端会議も楽しいひと時です。