亡くなった祖父が遺してくれたミニチュア・スコアです。
音楽の教師を生業とした人で、ピアノを弾いていたそうですが、オーケストラが大好きで、家ではよく家族でオーケストラのレコードを聴き、合唱の指揮などもしていたと父から聞きました。そのおかげで、父を含めた子どもたちはみな音楽好きに育ち、結婚式などで親戚が集まると、すぐ合唱が始まるほどです。
祖父は自分でスコアを勉強したのでしょう。
祖父が自ら付けた楽章ごとのインデックス、スコアのなかの赤字の書き込みに、祖父のぬくもりを感じます。

 

そのような環境に育った私も、二人の姉とともに小さいときから楽器を習い始めました。
いまでも姉たちとアンサンブルを楽しむことができるのは、本当に両親のおかげと感謝しています。
祖父は私が新日本フィルに入ってすぐ亡くなってしまったのですが、新日本フィルに入団したことを知らせることができて本当によかったです。
とても喜んでくれました。ただほとんど、楽譜の話やオーケストラの話をすることができなかったのがとても残念です。

新日本フィルに入団して16年、生来の詰めの甘い性格が鍛えられ、人間的にずいぶん成長できたように思います。
ひとりひとり違う音楽をもった音楽家たちがひとつのものを作り上げていくオーケストラでは、相手の音楽を理解し、それに納得したうえで自分を表現することが求められます。
しかもそれぞれの音楽には、人生経験や人間性が表れていますから、それごと理解できる自分を作っていく必要があるのです。
最初はそれがなかなかできず、はがゆい思いをしたこともありました。
自分の思い通りにならない苛立ちや疑問をまわりにぶつけていましたが、どんなときもみな、私が納得できるまでちゃんと相手をしてくれたのです。
いまもまだまだですが、当時の自分がどんなに頭の固い、浅い根拠で物をとんがったことを言う人間だったのかと、恥ずかしく思います。
そんな私を温かく見守り、時間をかけて手助けしてくれていた先輩、同僚たちには、本当に感謝しています。これからもよりよい音楽をめざし、自分を成長させていきたいと思います。

新日本フィルに入団して16年、生来の詰めの甘い性格が鍛えられ、人間的にずいぶん成長できたように思います。
ひとりひとり違う音楽をもった音楽家たちがひとつのものを作り上げていくオーケストラでは、相手の音楽を理解し、それに納得したうえで自分を表現することが求められます。
しかもそれぞれの音楽には、人生経験や人間性が表れていますから、それごと理解できる自分を作っていく必要があるのです。
最初はそれがなかなかできず、はがゆい思いをしたこともありました。
自分の思い通りにならない苛立ちや疑問をまわりにぶつけていましたが、どんなときもみな、私が納得できるまでちゃんと相手をしてくれたのです。
いまもまだまだですが、当時の自分がどんなに頭の固い、浅い根拠で物をとんがったことを言う人間だったのかと、恥ずかしく思います。
そんな私を温かく見守り、時間をかけて手助けしてくれていた先輩、同僚たちには、本当に感謝しています。これからもよりよい音楽をめざし、自分を成長させていきたいと思います。