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いざ、新日本フィルとシューベルト 交響曲の旅へ!

いざ、新日本フィルとシューベルト 交響曲の旅へ!

2019/2020シーズン「シューベルトプロジェクト」

演奏史譚 山崎浩太郎

シューベルト、交響曲の旅

フランツ・シューベルトは、1797年に生まれて1828年に亡くなるまでの31年の短い生涯に、少なくとも8曲の交響曲をつくりました。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンなど偉大な先人の影響を受けながら、自らの音楽を模索し、発展させていった初期の6曲から、ロマンティックな「未完成」をへて、「グレイト」の雄大な世界にいたる、それは芸術家の進歩と、深化の旅のようでもあります。

その本当の価値が理解されるようになってきたのは、21世紀になってからといってもよいでしょう。それまでは、「未完成」と「グレイト」だけが広く世に知られていて、あとは第5番がときどき取りあげられる程度でした。

しかし、近年はこれら以外の5曲のもつ伸びやかな歌心、生き生きとした舞曲といった魅力がようやく理解され、若きシューベルトの青春の歌として、演奏され、聴かれる機会が増えてきました。

新日本フィルは、2019年9月から2020年7月まで、1シーズンをかけてシューベルトの8曲の交響曲を演奏します。19世紀初めのウィーンを生きた、ある天才作曲家の「交響曲の旅」を、あなたもぜひ追体験してみてください。

 

 

謎の多いシューベルトの交響曲

「わが恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」

これは、1933年公開のオーストリア映画「未完成交響楽」(ウィリー・フォルスト監督)を結ぶ、有名な一節です。

映画のなかで、貴族令嬢との恋が悲しい結末に終わったとき、若き作曲家シューベルトは交響曲第7番「未完成」の結末を破棄して、永遠に未完成の作品にとどめることを選びます。もちろん架空の物語で、実際にこんな悲恋がこの曲の背後にあったかどうかはわかりません。ただ,話としてあまりによくできていて、この不滅の名曲への親しみを深いものにしてくれることはたしかです。

本当のところ、なぜこの曲が第2楽章までで未完成に終わったのかは、わかっていません。このことにかぎらず、シューベルトの人生には謎が多いのです。

今回取りあげられる8曲の交響曲にしても、シューベルトの生前に演奏されたのかどうかも、じつはよくわかっていません。歌曲やピアノ曲と違って、大人数を要する交響曲のようなジャンルは、演奏するあてがあって書かれるはずなのですが、プロのオーケストラがこれらの曲を演奏したという確かな記録は、生前には残っていないのです。

歌曲や室内楽だけで知られていたシューベルトの交響曲の真価が明らかになったのは、没後10年をへた1838年に、「グレイト」がシューマンによって発見され、翌年にメンデルスゾーンの指揮で初演されたときでした。しかし、それ以外の交響曲の楽譜は1860年代後半になって、ようやく再発見されたのです。当時は大規模で、ロマンティックな作風が喜ばれていましたから、古典派的な構成のシューベルト初期の交響曲が軽視され、「未完成」と「グレイト」だけに関心がかたよったのも、仕方のないことでした。

しかし初期の6曲でも、シューベルトのほとばしる才気、生きることの喜び、ユーモアのセンスは、瑞々しい輝きを放っています。

なお、シューベルトはほかにも未完成の交響曲をいくつか遺していて、これらをどう考えるかで番号のつけかたも変ってきます。そのため、かつては「未完成」が第8番、「グレイト」が第9番となっていましたが、現在ではそれぞれ第7番、第8番とされています。

 

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交響曲について

 

交響曲第1番 ニ長調 D82

2019年11月22日・23日 #27 ルビー

シューベルトは11歳から17歳まで、ウィーンのコンヴィクト(神学校)で音楽教育を受けました。第1番は在学中の1813年、16歳のときに完成されたもので、コンヴィクトのオーケストラのために書かれたと考えられています。古典派的な4楽章の作品です。

 

交響曲第2番 変ロ長調 D125

2019年10月12日・13日 ルビー #26

コンヴィクトを離れて、教師をしていた1814年から翌年にかけて作曲されたもの。同じく教師だった父親が仲間と結成したアマチュア・オーケストラのために書かれたと想像されています。モーツァルト風の序奏が印象的です。

 

交響曲第3番 ニ長調 D200

2019年10月12日・13日 ルビー #26

第2番に続けて1815年に作曲。前の2曲よりも短めですが、書法の充実感、音楽のスケールが増しています。当時ウィーンで大流行しはじめた、ロッシーニのオペラの音楽の影響も感じられる作品です。

 

交響曲第4番 ハ短調 D417「悲劇的」

2019年9月5日 #609 ジェイド

2019年9月8日 サファイア #10

教師をやめて作曲家専業を志した1816年に完成されました。「悲劇的」と命名し、ハ短調を選んだことにも明らかなように、ベートーヴェンの影響が強いもの。友人の音楽家オットー・ハトヴィヒが自宅で開いた演奏会のために書かれたと考えられています。

 

交響曲第5番 変ロ長調 D485

2020年2月28日・29日 ルビー #29

第4番と同じく1816年に書かれたものですが、こちらは対照的に長調で、モーツァルト的な優美さと、その背後の寂しさを感じさせる作品。これもハトヴィヒのアマチュア・オーケストラのために書かれたと想像されています。

 

交響曲第6番 ハ長調 D589

2020年1月17日・18日 #615 トパーズ

1817年から18年に作曲。第7番と同じ調性なので「小ハ長調」とも呼ばれます。第3楽章をメヌエットではなく、ベートーヴェン風にスケルツォとした最初の交響曲。没後まもない1828年12月にウィーン楽友協会の演奏会で演奏されました。これが公式記録に残る、最初のシューベルトの交響曲の演奏です。

 

交響曲第7番 ロ短調 D759「未完成」

2019年10月4日・5日 #611 トパーズ

世に認められない困窮のなかで未完成に終わった数曲の交響曲のうち、最も有名な作品。1822年に着手され、第3楽章に取りかかったところで中断されました。後半2楽章を復元することもときに試みられますが、未完成のままの演奏がいまも主流です。

 

交響曲第8番 ハ長調 D944「 グレイト」

2020年7月17日・18日 ルビー #32

ようやく仕事も増え、作品が出版されはじめていた1825年から翌年にかけて書かれたもの。1838年、シューベルトの兄の家を訪れたシューマンが、遺稿の束から発見しました。スケールの大きな傑作で、シューベルトの代表作というべき交響曲です。